私は3人兄弟の末っ子で、上に兄と姉がいます。父は産婦人科を開業しており、両親とも昼夜を問わず忙しく働いていました。
よく夜中に患者さんが産まれそうだと救急車で運ばれてきました。そうすると、母、祖母が起きてお産の準備をし、父が赤ちゃんを採り上げます。忙しい時には、救急車が毎晩のように来て、いつ寝ているのかと人に良く言われてました。子供心に今日は救急車が来なければいいなと思ってました。
今は大変な仕事をして、私を育ててくれた両親に感謝の心でいっぱいです
5歳の頃(かなりわんぱくでした)
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家の隣は歯医者さんで、そこのうちの子が私の幼なじみで、よく一緒に遊んでました。ある時、そこの家の洗面コーナーに歯ブラシが置いてありました。当時の私は虫歯が多く、きっと歯医者さんは虫歯にならない特殊な物を使っているのだろうと思い、見てみるとごく普通の歯ブラシに歯磨き粉でした。秘密が分からずじまいのまま、また、虫歯になり、その歯医者さんへ行くのでした。
待合室に聞こえるキーンと歯を削る音、消毒薬のにおいで、待ってる間は不安と緊張でいっぱいでした。私は大の恐がりやで、診療台の上に乗って周りを見ると痛そうな機械だらけなので、「この歯が痛い。」と伝えた後は、天井を見てるか目をつぶっているか、そして痛くなく治療が終わりますようにと祈りつづけてました。治療が終わる頃には背中に汗をビッショリかいてました。
(親戚の子を子守している所)
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もし、親戚に歯医者さんがいたなら、、随分安心感があるだろうなあと思い、自ら歯学部へ進学することに決めました。
大学時代は、何か、体育会系のクラブに入ろうと思い、テニス部へ入部しました。朝練、そして授業が終わって、夜までまた練習、夏、春休みは試合の為に合宿など、厳しくも優しい先輩たちに鍛えられながら、6年間やり通しました。そのおかげで、体力だけは自信があり、風邪などは滅多にひきません。
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大学卒業後、1年間は、一般歯科の先生の所に勤めました。そこの院長は、矯正をはじめ、インプラント、補綴、歯周治療など、全ての歯科治療が出来ました。当時私は、虫歯の治療しか出来ませんでした。補綴、歯周治療は経験を積む事で、出来るようになるだろうと思っていましたが、矯正は全く手が出ませんでした。目の前にいる、歯が出ている事を悩んでいる患者さまを、自分ではどうしてあげる事も出来ませんでした。自分の無力さを痛感しました。そのもどかしさが、私を、もう一度大学へ戻って、矯正を徹底的に勉強しようと思い立たせました。
大学の矯正科の頃
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大学の矯正科は、連日、朝から晩まで本当に忙しかったです。学会の発表前などは連日連夜の徹夜で、頬は痩け、目の下にはクマができ、「何か、危ない病気なんじゃないの?」とからかわれたりしました。
そんな大学での矯正の研鑽を10年ほど続けた後、横浜で矯正歯科医院を開業しました。
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| 開業に当たっては、小さい頃から歯科医院は怖い所というイメージがありましたので、出来るだけ歯科医院らしくない、リラックスできる歯科医院を心がけました。治療は、なによりも患者さまに喜んでもらう事を目標に、治療にあたっては、自分の家族を治すように、包み込むような愛情を持って接する事、そして、常に最新の技術、装置を取り入れ、最高の医療を提供していくのだという決意を胸に、日々治療にあたっています。 |